photo: Mizuho Takamura
text: Takehiko Nakanisihi
現役経営者の卒業生がキャンパスに訪れ、
当時から現在までを振り返る連載企画。
今回は、トラックボデーを製造する専業メーカーとして、
ビジネスパートナーや
ユーザーから絶大な支持を得ている
「山田車体工業」の三代目社長です。
山田車体工業
帝京大学理工学部
機械?精密システム工学科卒業
山田車体工業
代表取締役社長
山田 やまだ 和典 かずのり さん
本社所在地 | 〒410-0874 静岡県沼津市松長字改正600番地 |
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企業理念 | 誠実?実行?親和 |
プロフィール | 帝京大学理工学部1995年3月卒業。将来の事業継承を視野に入れ、取引先の商社で営業職を経験した後、1997年に山田車体工業入社。2001年より常務取締役を務め、父でもある先代社長が他界した2003年より現職。トラックボデーの製造に特化した事業を受け継ぎ、さらなる進化を遂げるために経営手腕を発揮する。 |
1946年の創業以来、荷台を中心にトラックボデーを製造し、その開発から販売までを一貫して行う山田車体工業株式会社。オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックなどの経済危機に見舞われるなか、同業者は最盛期の半数以下に減った。しかし、山田車体工業は高い技術力や対応力で生き残り、設備投資を積極的に行いながらも無借金経営を続けている。
現在社長を務める山田和典さんは、父である先代から会社を継ぐことを入学前から心に決めていた。大学では製造業の現場で求められる知識や技術を身につけ、卒業後は会社の取引先に勤務してビジネス感覚を磨いた。そして30歳のとき、三代目社長に就任した。現在の従業員は約300人。オーダーメイドで製造するトラックボデーは年間約700台。ワンマンに指揮を執れる立場だが、山田さんのスタンスは真逆である。周囲の声に耳を傾け、何よりも人間関係を重んじる。誰に対しても物腰が柔らかい先輩の実像に迫った。
大学ではものづくりを学び、得た知見や経験は製造業を営む側に立ったいまの自分に活きています。一番印象深いのは、宇都宮という地で過ごした有意義な時間です。
授業、同好会、学生寮のようなアパートを起点に友人が増えていき、学年や学部学科を超えて親交を深めました。なかでも同じ研究室で研鑽を積んだ10名ほどの友人とは、現在も交流が続いています。何でも腹を割って相談できる人間関係が、一生の財産になりました。
大事なことは、与えられた4年間をどう捉えるか。振り返ると海外留学など、やり残したことは多く、長いようで短い貴重な時間でした。もし進路が漠然としているなら、目の前で起きていることに全力を注いでください。後の財産になるはずです。
卒業後は、現在も取引があるアルミニウム資材の商社に就職し、営業職として2年半勤めました。マナーや顧客との接し方なども一から学び、社会人として生きる土台を築きました。
何事にも全力で取り組むなかで痛感したのは、関係者との綿密な報連相の大切さです。トラブルの多くは、コミュニケーションの欠如によって起きるものです。いまでも顔を合わせて対話することを心がけています。
また、教訓になっているのが、「逃げ道を作ってあげなさい」という上司からの助言です。相手に非があっても、追い詰めてしまうと関係性まで絶たれかねません。ビジネスは持ちつ持たれつであることを肝に銘じ、人間関係を重んじることが経営哲学の一部になっています。
社長に就任したのは、先代社長である父が他界した年でした。数年前から心の準備ができていたので、就任後の構想を練り、30歳と若年でしたが覚悟をもって事業を継ぎました。
強いて苦労話をすれば、年齢や経験不足を危惧する声や視線を社内外から感じたことです。そこで、自分の意見を通したいときほど周囲に丁寧な説明を行い、教えを請いながら理解を得ようと努めました。めざしているのは、トラックボデー製造のけん引役として“進化しつづけるヤマダ”であり続けることです。
社長就任以来、経済危機や不況という逆風の中でも、設備投資などを積極的に行ってきました。先々の備えとなる布石を地道に打ってきたからこそ、企業として成長を持続できていると自負しています。仕事の成果が形となって公道を走り、社会経済に貢献している。そんなやりがいを胸に、誇りを持って働く社員が揃っており、私の原動力となっています。
1946年、木骨を主体としたトラックの運転台および荷台の製作を主業として創業。開発?設計?製造?販売を一貫して行い、変化する物流業界の期待に「ニーズをカタチにする」をモットーに応える。主力製品は、荷台の後方および両横が開閉する「フラップボデー」。ユーザーによる新車発注時に自動車メーカーから注文を請け、一台ごとにオーダーメイドで対応。独自のノウハウや特許を有し、卓越した性能と品質で絶大な支持を得ている。
ひさしぶりに訪れた母校。新旧の建物が入り混じるキャンパスを先輩がさんぽ。
久しぶりの校舎に
やってきました。
渡り廊下を渡って
学内を回る。
学生当時に在籍していた磯貝先生と同時期に学生だった牧田先生と邂逅。
卒業アルバムを眺め、
学生時代をしみじみと
振り返る。
思い出の学食へ。
好きだったメニューは
カレー。
「学生時代を思い出して初心に返りました」と言ってキャンパスを後に。
在学当時にはなかった、宇都宮キャンパスの新しい施設を訪問。
帝京大学の教育理念である「自分流」とあらためて向き合う。
自動車整備?実験に特化した実習施設に「感心するばかりです」。
「かつてと名称が異なりますが、いまはより充実してるんですね」
1946年、木骨を主体としたトラックの運転台および荷台の製作を主業として創業。開発?設計?製造?販売を一貫して行い、変化する物流業界の期待に「ニーズをカタチにする」をモットーに応える。主力製品は、荷台の後方および両横が開閉する「フラップボデー」。ユーザーによる新車発注時に自動車メーカーから注文を請け、一台ごとにオーダーメイドで対応。独自のノウハウや特許を有し、卓越した性能と品質で絶大な支持を得ている。