- 微細藻類の可能性 -
帝京大学理工学部バイオサイエンス学科 教授 篠村知子?
1983年筑波大学大学院生命科学研究科修士課程修了。1984年 株式会社日立製作所に入社、中央研究所に配属され以後さまざまな研究に従事する。2000年に筑波大学より理学博士の学位を授与される。2000年代後半は、船舶のバラスト水から微細生物を除去する研究、その後、ユーグレナの増殖研究に参加。2010年4月よりバイオサイエンス学科植物分子細胞学研究室教授として帝京大学理工学部に就任。
微細藻類とは、ユーグレナ(ミドリムシ)やクンショウモに代表される、一般的に水中に生息する顕微鏡サイズの植物プランクトンです。20億年以上前の太古の昔に誕生したといわれるこの微細藻類に、今、産業のエネルギー源として注目が集まっています。注目される理由が2つあげられます。1点目は、産業のエネルギー源となる油がたくさん採れることです。現在、陸上植物の中で1m2あたり最も油が採れるのは、東南アジアで生産されているパームヤシです。一方、微細藻類は、単位面積あたりの油の生産量が理論値ではありますがパームヤシの約10倍にもなるといわれています。2点目はカーボンニュートラルです。植物である微細藻類は、光合成によって二酸化炭素を取り込み増殖します。また、エネルギー用資源の廃棄物処理は常に難題ですが、微細藻類から出る油の絞りカスは家畜の飼料や土壌改良への利用が見込まれ、メリットが大きいといえます。
しかし現時点で微細藻類は産業用エネルギーとしてまだ発展途上です。微細藻類から油を採るためには固液分離といって水の中から細胞を取り出す作業が生じます。今はそこで電気エネルギーや多額の設備投資が必要になるため、採算の取れるバイオ燃料としての安定した大量生産はまだ実現できていません。増殖も簡単ではありません。微生物を用いた発酵や醸造の分野では研究が進み、培養技術や品種改良もかなり進歩していますが、微細藻類についてはまだまだです。ある企業ではアミノ酸をより多く生産するために微生物の品種改良に数十年をかけています。しかし、微細藻類の実用化研究は歴史が浅く、品種改良も模索段階。どのような培養が可能か不明点の方が多いのです。これらをすべて逆説的にとらえれば、課題の多さはそのまま”可能性の巨大さ”ということになります。今、微細藻類が生み出すバイオ燃料へかつてないほど注目が集まり、世界中で研究の熱が高まっています。
課題解決のひとつの鍵に培養方法の確立があります。微細藻類は環境がよければどんどん増えますが、適正環境の範囲が狭いのです。たとえば、ユーグレナだと25℃?30℃の温度帯でよく増えます。しかし、20℃だと増殖を停止し始め18℃以下だとほとんど増殖しません。自然環境下で増殖させる場合、日本では1年間を通して安定的に増殖させる気候条件を確保できません。明るさにも課題があります。ユーグレナは光強度が強すぎると増殖しなくなります。雨や曇りくらいの光強度を好みます。
どうすれば、晴天時の強い光があたっても微細藻類が増殖できるようになるでしょうか。キーワードはカロテノイドと呼ばれる色素にあります。カロテノイドは植物の葉緑体が生産する色素で、ニンジンならベータカロテン、トマトならリコピンを持っています。カロテノイドは動物でも植物でも活性酸素の除去に効果を発揮します。特に光の集まるところには活性酸素が生じやすく、これを除去しないと身体中のいろいろな細胞を劣化させます。逆に、カロテノイドが必要量あれば、身体の健康維持や老化防止に効果があります。事実、ユーグレナのある遺伝子をノックダウンし、カロテノイドを生産できないユーグレナを作ってみたところ、活性酸素が多く発生し増殖が悪くなることを発見しました。逆に言えば、カロテノイドをたくさんもつユーグレナができれば、ある程度強い光でもグングン育つ可能性があります。こうして微細藻類の特性を理解し、品種改良して生育の適正環境の範囲を広げることができれば、培養環境の多様化に貢献できます。
現在の社会インフラを支えるエネルギー原料は比較的安価です。たとえばガソリンはレギュラーで1リットル150円を超えることはほとんどありません。中東に行き、タンカーで原油をくみ、運んできてから精製し、全国に配送する手間をかけてなお、国産のペットボトルの飲料水よりも安いのです。1970年代のオイルショック以降、バイオ燃料は何度も注目されましたが、結局は安価なエネルギー源の存在の前に消えていきました。しかし2010年代に入り、地球環境問題が深刻化したことで重要な研究テーマとして再び本格的な研究が進められるようになりました。
ここで大学の存在が生きてきます。人類は時代ごと、地域ごとに、社会のエネルギー課題を解決していくために持続可能な生産が可能な微細藻類の存在を考慮していくべきだと私は考えています。とはいえ、民間企業は単年度での業績で経営評価が行われるため、中長期での投資に慎重であり、短期的な投資回収に関してよりシビアに判断します。一方で、大学は中長期的な視点が生きやすい。大学において取り組まれている生物の基礎研究や、素材の基礎研究が、何年も経ってから産業に有効であることが証明され、その後の社会を変革していく事例はたくさんあります。私は、大学院時代に微細藻類を研究し、その後日立製作所の研究所に就職しさまざまな産業向けの研究に従事した経歴を持っています。大きなタンカーのバラスト水から微生物を取り除く研究チームに呼ばれたことで、再び産業向けの微細藻類の研究に関わり、企業退職後に帝京大学でその研究を引き継いでいます。奇しくも微細藻類に関して、こうして私は、企業の立場、大学の立場、社会の視点などさまざまな立ち位置から取り組む経験を得ました。だからこそ、大学が行う中長期的な研究の中に、社会を変革に導く可能性を強く感じるのです。
SDGs的視点で見れば、微細藻類がカバーできる領域は、エネルギーはもちろん、食料や栄養の問題、さらに産業全般と多岐にわたります。特に、私たちの研究室には環境というテーマに興味を持つ学生がたくさん集まっています。こうした学生たちはユニークな発見にも貢献しています。宇都宮キャンパスの近くに湧き水と雨水しか入らない池があるのですが、ここで採取したクンショウモからある時期にだけ大量に油を貯める特性があることを発見したのです。さっそく私たちの研究室でそのクンショウモを単離培養し、脂質組成や成長特性などを分析しています。まさに学生と一緒に取り組んでいるオリジナルな研究です。
クンショウモは複数の細胞が群体になり生活しています。特にユニークなのはその増殖の仕方です。普通、単細胞生物の多くは1つの細胞が2つの細胞に分裂して増えていくのですが、クンショウモは、まず初めに細胞は分裂せず、ひとつの細胞内で核分裂を繰り返します。そして群体を構成する細胞と同じ数の核ができた段階で一気に細胞分裂します。一瞬だけバラバラに細胞が泳ぐのですが、すぐに細胞同士が接着して新たな群体を作ります。16細胞群体であれば一度に16倍に増える可能性があり、32細胞群体なら32倍にも増える可能性があります。増殖率の観点でいえば”爆発的”といっていい。確かに現時点において、燃料としての有効性や食品分野に活用できる細胞の成分としての有用性という意味ではユーグレナに軍配があがります。しかし、未来のバイオ燃料としてユーグレナが最終的に選ばれる微細藻類かどうかはまだ未確定です。現段階で発見されている脂質生産効率の高い数十種類の微細藻類の中にも、全く新しい別の力を持つ種が見つかる可能性もあります。学生が採取したクンショウモの特性や増殖に適した環境を見つけだすことで、バイオ燃料に最適な微細藻類とされる可能性も充分にあります。SDGsの解決は全地球、全人類的な課題であり、大変難解です。常に新しい可能性を模索する必要もあれば、既存の可能性を強化していく方法も重要です。微細藻類という小さな植物の中にも、人類の未来を明るいものにできる力があるかもしれない。だからこそ私たちは、太古から続く存在の中に隠されたSDGs課題解決の鍵を見つけ、新しい持続可能な社会の実現の扉を開くという目的に向かって挑戦し続けています。